阿久根市への移住で、子どもの運動会に50歳の先輩が帰ってくる|在校生とリレーで対決する秋

公開日: 2026-10-09
阿久根市/校庭の出番をもう一度つくる市/①昔の勝負を、もう一度/②再会は形を変えた/③卒業の先を走る大人

「市内各小学校の運動会には、50歳になる母校の卒業生が全国各地から集まります。」鹿児島県阿久根市には、卒業して何十年もたった人が戻ってくる運動会があります。「華の50歳組」です※1。

私は、小学校の運動会では、大人は応援する側になると思っていました。ところが阿久根市では、50歳の卒業生が母校の運動会に選手として出て、在校生とリレーで対決する学校もあります※2。では、母校に戻った大人は、そこで誰と会うのでしょうか。

昔の競走相手ともう一度走るため、大人が校長に種目を頼んだのが、始まりの一説です※3。その歳に会えなかった同級生との再会も、後から開かれました。そして校庭には、今ここに通う子どもがいます。昔の仲間に会うこと、会えなかった人と集まること、次の世代と走ること。

自治体と国が発表している一次資料を読んで見えてきた、大人が競技を頼んだ始まり、形を変えて開いた再会、今の子どもと走る校庭を順にたどります。モノサシは「戻った大人が、校庭で誰と会うか」。締めくくりに、私の見立てを置きます。

阿久根市の大人が競技を頼んだ|昔の勝負を、もう一度

一つ目の柱は、昔の競走相手と走るために、大人が自分たちの種目を頼んだことです。1951年、50歳だった人たちの間で、若い頃の競争話が持ち上がりました。互いに挑戦する話が大きくなり、さらに仲間も加わります。市が伝える一説では、そこで出た言葉が「今、競争して決着をつけよう」でした※3。

その勝負の場所に選んだのが、阿久根小学校の運動会です。この説の人々は、校長に50歳の競争種目を入れてほしいと相談しました。起源にはもう一つの説もあり、同じ年に天皇陛下が50歳を迎えたのを機に、同い年の人たちが何かスポーツをやってみようと校長に相談した、と伝わります※3。

昔の勝負を、もう一度/50歳の競争種目/校長に相談。海に近い小学校の秋の校庭へ戻る大人の後ろ姿。
図1 昔の勝負を、もう一度(※3)

大人の種目は、その小学校だけにとどまりませんでした。1950年代には大川小学校、1960年には西目小学校でも始まりました。その後、山下小学校や尾崎小学校、鶴川内小学校でも、華の50歳組が始まっています※3。

母校に集まる50歳組は、呼び名も変わりました。1990年まで「花」の字でした。阿久根小学校を1954年に卒業した人たちの50歳組のときに、「華」に改められました。「人生の折り返しとなるこれからを華やかに生きよう」という意味を込めた変更です※3。

母校の運動会には、同級生同士で互いの無事を喜び、亡くなった先生や友人をしのぶ時間もあります。競技に参加するのを機会に、旧交を温める同窓会になっています※3。参加した人からは、「温かく迎えられて感激した」という声も寄せられています※2。

その再会を実際に用意するのは、学校ごとに組まれる実行委員です。B&G財団の紹介では、準備は1年前から始まり、市も案内状の送付やゼッケンの配布を支えています。実行委員からは「いつでも帰ってきてほしい」という声が上がっています※2。

運動会前夜の歓迎レセプションは、1990年から市の主催で開かれるようになり、小学校の同級生に加えて、中学・高校時代の仲間とも旧交を温める機会になりました※2。では、その年に集まれなくなった人たちは、どうなったのでしょうか。

阿久根市の再会は形を変えた|50歳組が、55歳で集まる

二つ目の柱は、会えなかった同級生との再会を、後から開いたことです。新型コロナウイルス感染症の影響で集まれない年が続き、2022年の華の50歳組は3年ぶりの開催になりました。この年の10月1日の歓迎レセプションでは、市内の全小学校の参加者が一堂に会し、旧友との久々の再会を喜びました※4。

2025年には、2020年度に集まれなかった組にも、再会の案内が出ました。対象者は、もう55歳になる人たちです。市はその人たちの歓迎レセプションを8月10日に開くと案内しました※5。

そして8月10日、対象430人のうち154人が歓迎レセプションに参加しました。久しぶりに顔を合わせ、思い出と近況を語り合いました※6。

50歳組が、55歳で集まる/154人/歓迎レセプション。開いた扉の向こうで再会する大人の小さな後ろ姿。
図2 50歳組が、55歳で集まる(※6)

代表としてあいさつした尾崎小学校の卒業生は、実施には賛否両論があったとしたうえで、「迎える側の実行委員は、やはり扉を開けるべきとの考えで進めてきました。結果、多くの友達に参加してもらえたことを大変うれしく思います」と話しました※6。

その尾崎小学校では、前年の2024年10月26日、休校中の校庭に卒業生8人が集まっています。そこで楽しんだのはグラウンドゴルフでした※7。歓迎レセプションのほうは、休校・廃校になった学校も含め、全校の卒業生を対象に開かれています※2。

2026年度には、次の組への案内が出ています。1988年度、つまり1989年3月に市内の小学校を卒業した人が対象です。歓迎レセプションは10月24日、市内小学校の運動会は翌25日に予定されています※8。同級生と会う週末に、今の小学生も学校へ出てきます。戻った大人は、その子どもたちにとってどんな相手なのでしょうか。

阿久根市の校庭に、今の子どもがいる|卒業の先を走る大人

三つ目の柱は、戻った大人が、今の子どもの競技相手にもなることです。2023年9月24日の西目小学校の運動会では、48人の子どもたちが短距離走やリレー、ダンス、応援合戦に取り組みました。この年は数年ぶりに来場者を制限せずに開かれた運動会で、華の50歳組24人も参加しています。学校便りには、「大いに盛り上げていただきました。」とあります※9。

その大人と子どもが交わるのは、競技の中です。競技内容は各校で違い、50歳組だけのリレー対決もあります※2。2024年10月27日には、各小学校で在校生とのリレー対決や玉入れが行われました※7。

卒業の先を走る大人/在校生とのリレー/玉入れ。万国旗の下、同じトラックを走る大人と子どもの後ろ姿。
図3 卒業の先を走る大人(※7)

競技に戻った参加者からは、「6年生だった頃の気持ちで走る緊張と喜びを味わった」という声が寄せられています。走る姿を見るのは、子どもたちだけではありません。参加者の声には、「高齢の母に走る姿を見せられて誇りに思う」とあります※2。

昔の友人との再会は、校庭の外でも新しい暮らしに関わっています。鹿児島県の2023年の冊子で語った、2018年にUターンした人の例では、仕事を探していたとき、母がスーパーで息子の幼なじみに再会し、その友人が仕事を紹介しました。戻った人は生ごみを集めて堆肥を作る仕事に就き、これから来る人には、車は欠かせないこと、仕事探しには出水まで行くことになることを伝えています※10。

昔の友人がいる市へ戻る人に続いて、これから暮らしを始める親子の立場はどうでしょうか。春に新しい教室へ通い、秋には練習してきたリレーを応援する。その日に50歳の先輩たちも出てきます。2026年度の案内でも、50歳組の対象は市内の小学校を卒業した人です※8。移り住んだ家の子どもも、ここの小学校を卒業すれば、いつかの対象者に入ります。市の担当者も、小学生の頃に50歳組の全力で走る姿を見て、自分も同級生と走りたいと楽しみにしてきた、と話しています※2。

私の見立て|阿久根市は、卒業した大人に校庭の出番をもう一度つくる市

戻った大人が、校庭で誰と会うか。始まりの一説では、昔の競走相手と走る種目を、大人自身が頼みました。再会の年を逃した人には、55歳になってから集まる日がつくられました。今の運動会では、同級生同士に加えて、在校生や大人の親にも会います。

私の見立てはこうです。阿久根市は、卒業した大人に、校庭の出番をもう一度つくる市です。

校庭の出番をもう一度/卒業した大人/今の子ども。母校へ戻る大人と校庭で待つ今の子どもの後ろ姿。
図4 校庭の出番をもう一度(※2)

全国から戻る大人の運動会を、すでに自分の未来として楽しみにしている子どもがいます。在校生は「自分もいつか50歳でこの場に立つのが楽しみ」と話しています※2。その校庭へ次の組が戻る運動会は、2026年10月25日に予定されています※8。

阿久根市を数字で見たい人へ|人口・運動会の予定・住まいの要点

項目 数字・時点
人口 17,443人※11
世帯 9,481世帯※11
上記の時点 2026年9月末※11

人口と世帯は市が公表する同じ月末の値です。推移を見るなら阿久根市の人口ページ、町全体の情報は阿久根市のページへ。

制度の条件、住宅の予約状況、行事の日程は変わることがあります。ここに挙げた実績と、これからの予定を分けて、2026年10月9日に確認した内容です。

出典リンク集

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