高野町の閉じた小学校へ、最後の漉き手の道具が渡った|移住して、紙の一年に加わる暮らし

公開日: 2026-10-09
高野町/紙の技に次の使い手を迎える町/① 道具を引き継ぐ/② 紙を使う仲間/③ 一年の仕事を試す

2007年、高野紙の最後の漉き手から、道具一式が高野町細川へ譲られました※1。

最後の職人が仕事を終えたら、道具も使われなくなる。私は、受け継ぐ人がいない手仕事のその先を、そこで止めて考えていました。

ところが、道具を受け取ったのは、その2年前の2005年に閉じた旧西細川小学校でした。最後の漉き手が仕事を終えたのも同じ年。最後の漉き手から技を学んだ人を中心に、和紙の会が地元の団体の協力で、旧校舎を拠点に紙を漉き続けています※1。

では、最後の漉き手が仕事を終えたあとも、なぜこの谷では紙づくりが続き、外から来た人まで加われるのでしょうか。

答えは、旧校舎での紙漉きを地元団体が支え、集落や万博では紙を使う仲間が増え、工房では原料づくりから一年の仕事を試せるからです。山の植物を集めるところから、できた紙を灯りにするところまで、地区の人と手を動かす仕事があります。

この記事では、自治体と国が発表している一次資料を読んで見えてきた、道具を引き継ぐ、紙を使う仲間が増える、工房で一年の仕事を試すという三つの柱を、住まいと移住支援の要点も交えて解説します。モノサシは一つだけ。紙を作り、使う仕事に、誰が加わるか。締めくくりに、私の見立てを置きます。

高野町で道具を引き継ぐ|閉じた小学校から、住民との作業へ

一つ目の柱は、道具を引き継ぐことです。最後の漉き手から技を学んだ人を中心とする「和紙の会」が、旧西細川小学校を拠点に活動しています。西細川活性化実行委員会という地元の団体に支えられながら、昔からの製法で紙を漉いています※1。

受け継いだ道具を使うには、山の植物も要ります。高野紙の繊維を水の中からすくうのは、ススキで作った「萱簀(かやす)」という道具です。漉いた紙を板に干すと、厚みのある表面に萱の跡が残ります※1。

町が地区の外へ担い手を募った2021年には、このススキの穂軸を集める作業も、協力隊の仕事に入っていました。原料の楮(こうぞ)を切り、蒸し、皮を剥く。高齢の住民と一緒に、外側の黒い皮を取り除いて白い皮を残す。募集で求めたのは、紙を漉く技術を習いながら、その前の準備も繰り返す人でした※2。

道具を引き継ぐ/萱簀/ススキ。木造校舎を思わせる室内の漉き舟と簀桁、干された和紙。
図1 道具を引き継ぐ(※1)

一緒に仕事をする相手は、紙漉きの先生だけに限りません。協力隊は地元団体の一員として、道の草刈りや祭りに参加し、高齢者の買い物や通院などの生活も支える募集でした。地域で暮らし、住民と楮を用意しながら、和紙を使う商品の開発や売り先探し、体験を教える仕事まで担います※2。

この募集をきっかけに2021年に協力隊として移り住み、2026年に工房を開いたのが津田睦子さんです。以前のグラフィックデザインや和雑貨店の仕事を生かし、地域を知らせる仕事にも取り組みました※3。

高野町で紙を使う仲間が増える|集落で灯し、万博では着てもらう

二つ目の柱は、紙を使う仲間が増えることです。地域を知らせる仕事の最初は、着任後の「ほそかわ通信」の発行でした。高野紙の歴史、地域の名所、催しの案内を載せる。さらにリースなどを作る活動を進めると、近隣に住む人たちも集まるようになりました。県の広報誌『和』には、和紙づくりの仲間の写真と「集まってワイワイとおしゃべりするのも楽しみです」という言葉が載っています※4。

集まって作った紙は、集落の夜を灯しました。2022年、細川八坂神社で開いた「和紙あかり」では、訪れた人が願いごとなどを書き、約700個の行燈が境内を埋めました※4。

細川八坂神社の七夕まつりには、30軒ほどの集落に県内外から200人もの人が集まったと、県の広報誌は紹介しています※4。

紙を使う相手は、集落の外にも広がります。2025年9月15・16日の大阪・関西万博では、関西パビリオンの和歌山県ゾーンへ出展しました。会場で試してもらったのは「紙衣」、紙でできた服です。高野紙のミニカードを作り、接客する場面も、活動の記録に残っています※5。

紙を使う仲間が増える/紙衣/ミニカード。紙の上着と和紙のミニカードを置いた机。
図2 紙を使う仲間が増える(※5)

この出展を支えたスタッフは、のべ42名。町も後援し、高野町観光協会などが協力しました※5。

万博の後、同年10月29日の町の活動報告会では、任期を満了した西細川と杖ケ薮の2名が、活動とこれからの仕事を発表しました。津田さんが示した次の仕事は、紙づくり体験施設の開設です。副町長は「お二人は当初は地域にとって“よそ者”だったが、努力と熱意によって地域の仲間として受け入れられ、新しい風をもたらしてくれた」と述べ、町として引き続き支える考えを示しました※6。

高野町の工房で一年の仕事を試す|原料づくりから、宿を一緒に営む構想へ

三つ目の柱は、工房で一年の仕事を試すことです。報告会で示した体験施設は、2026年に「kamito works細川紙十工房」として開業しました※3。自生する楮を使い、原材料を作る段階から実践できる体験会を受け付けています※7。

2026年3月8日に初回の体験会を開きました※8。5月31日の体験会の案内は、原料を叩いてほぐし、紙を漉き、その紙でうちわを作る内容でした※7。

7月14日には、体験会が6回目を迎えました※8。

ただ、体験会で漉く紙の準備は、もっと前から始まっています。県の工房案内には「原料からの和紙作りは、1年がかりの作業です。体験できることは、参加する時期によって異なります。」とあります。冬に訪ねれば楮を採り、蒸し、皮を剥くところから関われます。春は畑起こしとトロロアオイの植え付け、11月ごろにはその根の収穫。根から取る粘りのある液が、紙を漉く水の中で繊維を均等に広げるのを助けます※3。

一年の仕事を試す/楮/トロロアオイ。谷の畑の植物と紙づくりの作業小屋。
図3 一年の仕事を試す(※3)

この仕事を試す県の2泊3日の行程例では、目的を話し、工房を見学した後、翌日に仕事を手伝います。作業は実際の仕事の状況と、参加する人の希望や適性に合わせて決める形です。最後の日には地域住民や工房の来場者との交流が入り、近隣の宿泊施設から通います※3。

時間をかける紙づくりから、工房は宿の構想へも進んでいます。数日から滞在して、手間のかかる工程にじっくり関わってもらう案です。津田さんは宿の運営まで一人で担うのは難しいと話し、近隣の宿の事業者との連携も考えています。県の案内は、一緒に形にしてくれる人との出会いを待っている段階だと伝えています※3。

工房で紙を作る時間のそばには、できた紙を使う集落の催しもあります。工房の隣が、あの七夕まつりの会場、細川八坂神社です。2026年の開催案内では工房も会場の一部になると知らせ、神社境内の東にある工房へも足を運ぶよう呼びかけていました※7。

2026年7月4日、その七夕まつり「紙の縁日」は第5回を迎えました。住民らの実行委員会が主催し、地域で採集した植物を原料に手漉きした和紙で灯籠を作るなど、準備を進めました。当日は雨でも多くの人が来場し、こども園の園児が作ったうちわも展示されました※9。

私の見立て|高野町は、紙の技に次の使い手を迎える町

紙を作り、使う仕事に、誰が加わるか。閉じた小学校で続く紙漉き。30軒の集落に集まる200人と、万博で紙を着た来場者。そして、宿を一緒に営む人を待つ工房。

次の使い手を迎える/工房/灯籠。谷の集落の工房と和紙の灯籠が灯る小道。
図4 次の使い手を迎える(※9)

私の見立てはこうです。高野町は、紙の技に次の使い手を迎える町です。移住して手仕事のある暮らしを考える人には、完成した紙を見る日に加えて、住民と原料を用意し、紙を使う相手に会う時間もあります。

工房で体験する人への言葉は、「一度で良いものができるとは限らないことを体験していただきたい」でした※3。閉じた小学校へ道具が譲られてから19年がたちました※1。2026年7月4日、第5回の七夕まつりの夕方、住民たちが準備した手漉き和紙の灯籠に明かりが入りました※9。

高野町を数字で見たい人へ|仕事体験・住まい・移住支援の要点

町は、高野山の周りの地区へ体験やツアーを広げながら、移り住みたい人も支えようとしているようです。細川地区は、移住定住を進める地区の一つです※10。

人口の推移は高野町の人口ページ、生活のデータは高野町のページへ。以下の人口は町広報に載る2026年8月末の値で、各データページの集計時点とは異なります※11。

項目 数字・時期
人口(2026年8月末) 2,531人
仕事体験の例 2泊3日
楮の採取 冬が中心
七夕まつり(2026年) 7月4日・第5回

人口は町広報の値です※11。体験の日数と楮の季節は県の工房案内によります※3。七夕まつりの日付と回数は町広報の実施報告によります※9。

制度の内容や受付状況は年度で変わります。申請前に町の現行案内を確認してください。体験の受入日と実際の作業は、申込み先と相談して決めます。

出典リンク集

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